西山ゆう の blog

肥満 食事 医学 読んだ本について書きます。エビデンスをこよなく愛しています。働きたくない。

誰もマクロ経済学者にこれからの経済を教えてと聞きにいかない

市場は複雑すぎて因果論ではなく確率的にしか記述できないからです。

マクロ経済学のすべてのモデルは世界金融危機を予見できなかったし、リーマンショック後の株価大暴落はそれまでの確率論を完膚なきまでに叩きのめしました。


市場は複雑系であり、ミクロな出来事が集まってマクロな組織ができると「ミクローマクロ問題」が生じます。

私たちの体は、原子が集まって分子となり、分子が集まってアミノ酸を形成し、それらから生きた細胞が構成され生命として存在しています。
しかし、原子や分子の運動をいくら考えても我々のような知的生命体がどのようにして出来上がっているか誰も説明できないのです。

社会や経済学も「ミクローマクロ問題」を抱えています。

 

例えば市場経済よりずっと単純な株式市場を考えてみましょう。
株式市場はある価格に対して「売り」「買い」(何もしない)の選択肢しかない極めて単純なゲームなのに、株式市場をモデル化して将来の株価を正確に予測できた人はいません。もしそんな人がいたとしたらこの世の富全てをその人が独占することができるので、そんな人がいないことは自明です。

市場経済は株式市場よりずっと複雑で、人々の思惑と国家が介入しています。社会全体となると複雑さの度合いはさらに高くなります。いくらモデルに当てはめようとしても、説明できないのです。

しかし現代に生きる私たちはこれに対する強力な武器がなんであるか知っています。
統計学です。

必要なのは統計学なのです。
テクノロジーの進歩によって大量のデータを収集し解析できるようになりました。これがいわゆるビッグデータです。統計学の最大の特徴は、理論がなくても正しい答えを導けることです。

わたしたちは今、理論は分からなくてもABテストをして効果が高い方を採用すればいいのだと知っています。とりあえず正解を知って理論は後で考えればいいのです。

データを収集して答えが出たら、理論はわからなくてもそれに従うことがどれほど大切なのかを教えてくれる人がいます。

 

18世紀当時、ひどいときには産褥熱により5人にひとりの妊婦が命を落としていました。この状況を打破したのは、ウィーン大学総合病院に勤めていたハンガリー出身の医師、イグナーツ・ゼンメルワイスです。なんとか産褥熱を減らしたいと思った彼は、データを詳細に調べたのです。すると、教授や学生たちが出産を行う第一産科の方が、助産婦がとりあげる第二産科より数倍産褥熱の発生率が高かったことがわかったのです。そんなある日、ゼンメルワイスの同僚が、産褥熱で亡くなった妊婦の解剖中に誤ってメスで手を切ってしまったことにより亡くなってしまったのです。ゼンメルワイスはもしかすると、妊婦の解剖をおこなった手でお産をしているために妊婦が産褥熱で亡くなってしまうのではないかと考えました。彼は解剖を終えたものに手を洗わせることを徹底すると、12%であった第一産科の死亡率が3%にまで低下しました。さらに下着や医療器具の消毒まで徹底すると0.5%以下まで低下しました。これは医学史上ほとんど初めて、統計学をもって病気に打ち勝った瞬間だった。

しかし残念なことに、医師が産褥熱を広めて患者を殺していたという事実が受け入れられない医師によりゼンメルワイスは大学病院を追い出されます。失意のうちに精神疾患を発して、47歳の若さで死亡しました。

ファクトを前に誠実でいることは意外と難しいことです。

 

 

「合理的経済人」の仮定の上に精緻な理論を組み上げてきた近代経済学は死に、行動ゲーム理論と統計学によって置き換えられる。

従来のミクロ経済学は合理的経済人を仮定していたため現実に則さないことを指摘した、エイモストヴェルスキーとダニエルカーネマンにより行動経済学が生み出されました。行動経済学は数学的にみると非合理的だが、進化的には合理的な行動をする人間としてモデルを作りました。
行動ゲーム理論では「限定合理的」な現実的な人間をプレイヤーとしてゲームを繰り返します。これが新しいミクロ経済学です。社会は進化論的に合理的な人々や企業が織りなすゲームの集合体として捉えなおされたのです。

しかし、市場や社会の複雑性により個々のゲームから全体を理解することはできません。そこで登場したのが経済学とビッグデータです。理論は分からないけど正解はわかる。これが新しいマクロ経済学です。


新型コロナウイルスとの戦いは、まさに統計学とビックデータを持って行われています。頼りにされる専門家は統計学を扱う分野の人ばかりです。
我々は統計学とビックデータから得られる結論に対して誠実でいなければなりません。複雑系において理論を構築しようとするマクロ経済学者はもはや必要ないのです。