タチバナの、合理的なまいにち

将来について迷走する女子大生。テクノロジー、本、漫画が好き。

100点満点のヒロイン「亜豆美保」はもういない 清楚でおとなしい女の子が正解の時代は終わった。

大好きだったバクマン。のヒロイン亜豆美保
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この世のヒロインの中で亜豆が一番かわいいと思っていた。
あの台詞を読んで「女の子」はこうあるのが正しいと知った。

なのになぜ、今あのページを読むと言いようのないもどかしさを感じるのだろうか。



あの頃は、正義だと思っていた
女の子とは
・賢すぎず
・バカではなく
・おとなしくて
・女の子らしい
当時女の子のあるべきとされていた像そのもののような亜豆美保


私も高校生になったらこうなるのだとばかり思っていた。
しかし20歳の私はまるで真反対。
自己主張は強いし、気も強い、生まれてこの方おとなしかったことなど一度もない。
亜豆のようなかわいげのあるおとなしい女の子には成長できなかった。

でも私は今、女の子のあるべき像が亜豆美保だとは思わなくなっている。

たしかに今でもあずきはとてもかわいいと思う。
私が男の子だったら、こういう女の子が好きだとも思う。

しかし女の子の理想像が亜豆美保だとはもう思わない。

あずきと比較される、クラス一の才女岩瀬さん。
「勉強ができること」に価値を感じ、自分がそうあるように努力している。

バクマン。では岩瀬さんはあまり評価されていない。
(事実現実にいたらちょっとやなヤツだと思う)

しかしそれでいいのだ。 「自分が大事だと思うこと」を追求する。

女の子だってそうでいいんだ。
おとなしくなくたって、世間一般的に女の子らしくなくたって、自分らしくあればそれでいい、時代はそういうふうになってきている。
この10年のあいだにも時代は変化している


だから私はもう、おんなのこらしくない自分を恥じたりはしない。

今の時代、女の子は
・自由で
・好きなことに夢中で
・周りにとらわれない

そうなってほしいと、私は思う。
男の人から見た女の子の正解を自分に当てはめなくてもいい。


ひとりひとりが違った人間で、女の子だって一つの枠に収まらなくてもいい。
そういう時代になったことに感謝している。
そういう時代を作ってくれたお姉様方に敬意を示したい。

14歳の私はいつかあずきみほになれるかもとずっと思っていた。
そして少しばかりあずきを意識して振る舞ってみたこともあったように思う。

しかし20歳になった私はさすがにもう知っているのだ。

私は昔あこがれていた
・清純で
・おとなしくて
・可憐な
女の子にはもうなれそうにもないということを。

OSが違った。
ただそれだけのことだ。

・強くて
・賢くて
・可愛げのない
女として今日も明日も生きていく

可愛げのなさにより(これは男女関係ないか?)少しやりづらいこともあるけれど、これが私だから仕方がない。


今でもやっぱりかわいいと思う女の子は「清純そうな子」だ。

しかし今の私がなりたい像ではもはやない。

ありがとうわたしのあずきみほ。

そしてさよならあずきみほ。